第15章 スコティッシュオペラの巡業の旅
(略)
というわけで、スコティッシュ・オペラ全国公演に出発した。素晴らしい経験だった。たいていは、1台のバンに6~7人乗って、数ヵ月、スコットランドの高地や島を旅した。公演は1週間に4回。500人入る劇場でやったかと思えば、翌日は教会や林間学校の施設で60人相手に歌った。1度なんか客席に犬がいたんだよ。後ろのほうにちゃんと座って、吠えていた。別の夜には子供たちが目の前に並んでてね、もうほんとに5,60センチのところ、そこでポテトチップスの袋を開けるんだ。僕がアリアを歌ってる間にだよ。まるでバリバリ雑音が入っている、古いレコードを聞いているようだった。それで僕も78回転レコード風に歌ったんだ。プツッ…プツッ…って。でもそれは、様々な聴衆相手に仕事をする訓練になった。どんなことにでも対処できるアーティストとして成長するための。例え、子供が目の前に何か投げてきたりしてもね。あちこち旅をして、基本的にどこだろうが、とにかくバンを開けて芝居をやる。聞きたい人がいれば、相手が誰だろうが舞台に立つ。すごい経験だったよ。
僕らは、その時その時を楽しんだ。ヤジられた瞬間でさえも。そういうのって予想もつかないし、やろうと思って出来るもんじゃないからね。芝居の中で問いかけるセリフがあれば、決まってお客さんからでっかい声で返事が返ってくる。大笑いが起きてオペラはストップ。そんな中でやっていくわけ。いつも客席と交流するんだ。アリアを歌っていて、ちょうど真ん中くらいまできたところで、目の前にいた子供がサイダーの瓶をポーンと抜いて、そこらじゅう中身が飛び散ったこともあった。僕はステージから降りて、拭くものを取ってきて、そのへんをきれいにして、それから最後まで歌った。その手の面白い話は冗談のネタになった。演じ手にとってそんな客席とのやり取りは、お客さんと一緒になって舞台を作り上げるのに役立つんだ。
「ドン・パスクワーレ」のエルネストは素晴らしい役だった。僕はこの役が大好きだった。ところが、ある公演でアリアの歌詞を忘れてしまってね、最初のセリフはこう。「僕には何の生きがいもない」で、僕はそのセリフを繰り返し繰り返し、その曲の間中ずっと歌った。だって他のセリフが出て来ないんだから。「僕には~何の生きがいもない~、僕には…何の…生きがいもない、…僕には…何の生きがいも…ない…」。だってそういう時にはこうするしかないよ。だけど舞台はいつも大成功、連日満員だった。エディンバラやパース、インヴァネスでは、500人から1000人入る大きな劇場で公演した。でもそういう場所だとどうしても、いろんなことがきっちりされてしまって、型通りの舞台になっちゃうけどね。ガラシールズやグレヌイグ、サーソー、こんな町こそ最高だった。オークニー諸島のカークウッドみたいな小さな島々。すごく小さなホール、教会、田舎の集会所、公会堂。気軽に来られるからみんな観に来てくれる。とにかく家を出て、広場を横切ればいいんだから。特にオペラファンってわけじゃない、ただなんか楽しいことを期待してるだけの人たちがね。
そして僕は素晴らしいことに気が付いた。この公演に参加して、この国も国民もクラシック音楽にすごく興味があるってことがわかったんだ。クラシック音楽が退屈なものだなんて誰も思ってない。だから、そういう人たちにこそ音楽を届けなきゃいけないってことだ。みんながオペラを見に来てくれるのをただ待ってるだけとか、安いチケットを提供するだけじゃ不十分だ。「最上階の席が10ポンド。これはお値打ちですよ。」こんなんじゃ全然ダメ――重い腰を上げて立ち上がり、みんなに音楽を届けに行かなくちゃ。ドイリーカートもこういうことではすごく頑張ってた。けど、そこは正真正銘のアマチュア劇団で、クラシック音楽への取っ掛かりにはなるんだけどね、それで終わってしまうのがすごく残念なところだよ。だからこそ、大きなオペラハウスはみんなが通いやすい環境を作る責任があると思うんだ。みんなは、オペラを鑑賞するには何かしらの決まり事があって、そういった教育を受けてなくちゃいけないと思ってるんだろうけど、全然そんなことはないんだ。みんな、それで臆病になってるだけなんだよね。それもこれもオペラが醸し出すイメージのせいだ。だけど、そんなこと気にしなくていいんだよ。音楽は人々にとっておあつらえ向きなものなんだ。だから、うまくやりさえすれば、音楽で誰でも感激させることが出来るんだよ。オペラハウスは、もっと入りやすくするべきなんだ。なのに、オペラ界のことは自分らがこのまま守ってくんだ、っていうような人たちもいるからね。まるで、おもちゃを貸すのを嫌がってる子どもみたいだよね。
(中略)
初めて「ラ・ボエーム」を聞いたのは、7歳か8歳の時。兄のマイケルが20代の初め頃に買ってきたハイライトアルバムでね。ユッシ・ビョルリンク(スウェーデン出身のテノール歌手)とヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス(スペイン・カタルーニャのソプラノ歌手)が歌ってる、トーマス・ビーチャム製作の33年前の古いアルバムだった。マイケルは大のオペラファンだったんだ。あんなにハマってたのは、家族の中でも兄さんだけだったな。兄さんは、今は手話通訳士をやってるんだけど、19歳の頃に司祭になるためにカトリックの神学校に入ったことがあるんだ。そしたら、そこで歌うことに目覚めちゃったんだよ。聖歌隊に参加したおかげでね。で、兄さんがあまりにも熱中してるもんだから、だんだん家族にもそれが伝染しちゃったってわけ。マリア・カラスもよく聞いてたけど、はっきりと覚えてるのは、この「ラ・ボエーム」のレコードを聞かせてくれたことだなぁ。エルビスを聴いて沸き上がった感情とは全然比べ物にならないけど、あのアルバムを聞くのは、ほんとに楽しかった。歌うことも大好きだったしね。後にドイリーカート時代に、「冷たい手を」を勉強しなくちゃいけなくなった時、「ラ・ボエーム」のCDを買ったんだ。そう、王立音大に入るためにね。誰かにこれを買えって薦められたからだったんだけど、それが兄さんが聞かせてくれてたあのアルバムとちょうど同じ録音のものだったんだよ。僕はそれを聞くと実家のリビングに舞い戻ったような気持ちになるんだ。
僕の「ラ・ボエーム」が始まった。僕の声は、ロドルフォ役に合ってたし、その役柄にも気ままな暮らしぶりにも共感できるものがあった。グラインドボーンでこの仕事をしてた頃の僕はものすごい貧乏学生だったからだよ。まだ、バーンズにある、例のミス・ハビシャムの屋根裏に住んでたし。それこそ、すごく“ボエーム”な暮らしだった。ロドルフォって、ほんとは裕福な家庭の出身なんだ。彼は金持ちの叔父のことを、こんなふうに言ってる。もし自分がお金に困っているっておじさんに手紙を書いたら、おじさんからお金が送られて来るということは分っているんだ、って。僕は金持ちの出身じゃないけど、登場人物たちのようなボヘミアンスタイルの生活と同じようなことをしてたからね。かっぱらった食べ物なんかで空腹をしのごうとするようなね。王立大の3年目の間は、同じアパートに住んでるサイモンと2人で、帰り道にあるスーパーに行っては、万引きばかりしてたんだ。僕らはほんとにお金が無かった。チキンを丸ごと1羽盗んだことも一度だけあったんだよ。ロドルフォと友人たちはワイン好きで、夕食の大きな魚に大喜びする。僕らの場合はビールとでっかいチキンだった。
(後略)