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​第24章「決め手」の歌を求めて

​(略)

筋書きもイカレていて、ENOの過去最低の作品だった。みんなそれを分かっていて、何とかしようと努力したけど、どうにもならなかった。当然、新聞のレビューもひどかった。幾つかの新聞では、バグダッドが混乱状態にある時に、おとぎ話のようなバグダッドを描いたミュージカルをやるとは時期が悪すぎると書いた。僕のカラシニコフのシーンがカットされても、その言われようだったからね。トニー・ブレアが僕らの初日、まさにその日に首相官邸を出たことは仕方のないことだった。ガーディアン紙は「イラクでの大失敗においてブレアのやったことを考えると分かるが、芸術における夢物語と、現実の間の矛盾は避けられない。『バクダッドはこの世の幸福のシンボル』というセリフを聞いたときには、なんともちぐはぐな思いがした」と書いた。まさにその通り。イブニング・スタンダード紙は「観客は幕間になると大急ぎで逃げ出した。舞台のことを『拷問』と言っていた」と書いた。真偽のほどは分からないが、観客を責めることはできないね。主演をつとめていたマイケル・ボールは、スタンダード紙でこの舞台をこき下ろした。一刻も早く閉幕すべきだと言ったんだ。堪忍袋の緒が切れたんだろう。「ヒトラーの春と「キャリー・オン・キャメル」を足して2で割ったような「衝撃的なひどさ」だと。確かにその通りだった。マイケルはとてもいい人で、本物の舞台人だ。僕とマイケルは正反対のタイプだけど、マイケルは心が広くて、僕らは仲良くなった。キズメットから数週間後、BBCのプロムスでは一緒に歌ったんだよ。マイケルは、キズメットに参加した時、オペラ界の槍玉にあがっていた。ミュージカルの人間に侵略された、と言われてね。まるでキズメットが、このうえなく神聖な作品であるかのように。でも彼は、レビューの中で最も高く評価されたうちの一人だった。みんな彼を好きになった。そして僕も、ミュージカルをやることを辛いと思ったことはまったくない。僕が『レ・ミゼラブル』に出た時、みんな歓迎してくれたし、みんな、誰かが新しい風を吹き込んでくれることに興奮していた。むしろ僕は、オペラ界でそれができないことを悲しく思う。実は、バルジャン役にとキャメロン・マッキントッシュに僕を推薦してくれたのはマイケルなんだ。そのことには本当に感謝している。


そういえばキズメットでこんなことがあった。あれは、翌年ENOで起こることを予示していたのかも。パールフィッシャーで溺れ死にしかけたことや、目が見えなくなりかけたことをね。キズメットでは、僕は毎晩、幕にあけられた穴を通って退場していた。ある午後、担当のスタッフが、何人か仕事をする人を残して飲みに行ってしまったので、舞台監督が急きょ、幕を引き上げるよう指示を出した。するとちょうどそれが、僕が幕の穴に足を踏みいれた瞬間で、幕は僕を巻き込んで4フィート(約1.2m)上昇し、次に逆回転した。僕は背中から床に激突した。でも誰も僕の様子を見に来てくれなかった。僕のことを気にかけてくれる人は誰もいないようだった。

 

(中略)

その年の末、戦没者記念式典の頃には、僕らはまったく忘れ去られていた。ここで数カ月話を戻そう。ハーヴェイ・ゴールドスミスが、まるで預言者か救いの手を差し伸べてくれる妖精のように事の成り行きに関わった、という話だからね。今でもあるんだよ、そういうことは。妖精は確かにいるんだ。ハーヴェイ・ゴールドスミスは、イギリスで一番力のある音楽プロモーターの一人で、ライブ・エイドを手がけたり、ハイドパークでのパヴァロッティの公演や、ウェンブリー競技場での3大テノールの公演といったオペラの大イベントを企画していた。その年のはじめには、僕も彼のやっていたテレビ番組「Get Your Act Together(真面目にやれ)」に出て、カナリー・ワーフのアイスリンクで「誰も寝てはならぬ」を歌った。収録の後、ニールは彼と飲みに行ったんだけど、このやり手の男はこう言ったそうだ。「君のところのあの子はなかなかいい。だが、決め手となる曲が欲しいね。これ!という曲が必要だ」。そう、現状を打開し、みんなの心をとらえ、僕を代表するような曲が。

 

12月の戦没者記念式典に話を戻そう。僕はその式典で歌うことになっていた。プロデューサーのティム・マーシャルが段取りを説明してくれた。軍のブラスバンドの演奏で僕が「Bring Him Home」を歌っている間、戦死者の棺が到着して遺体が戻ってくる映像を流す。僕は当初、式典について何も分かっていなかった。ただ、僕はその歌を知っていたけど、そういう注目を集めるイベントでミュージカルの曲をやるということに、いまひとつ不安を感じていた。でもティムのアイデアはとても感動的ではあった。正直言うと、実は僕は、当初はもっと派手でインパクトのある曲を歌いたいと思っていたんだ。でもティムの賢明な奥さんが「Bring Him Home」がいいと言った。2年前のジョージ・ベストの葬式で、棺が通路を運ばれてくるのを見てそう思ったのだとか。最終的に、遺体の映像は流されないことになった。そういう映像がなくても、歌の感じや歌詞が十分感動的だと判断されたんだ。式典には、ダグ・リグビーが息子のウィル・リグビー伍長と一緒に参列していた。彼の双子の兄弟のジョンは、一緒に兵役についていた時、イラクのバスタで道端に仕掛けられた爆弾で亡くなっていた。ウィルは、彼が亡くなる時、野戦病院で10時間付き添っていたそうだ。そして、戦没者トーチをロイヤル・アルバートホールに持って来ていた。僕が歌う前、ウィルによる朗読が行われた。こうした場にいられることが、感動的な経験だったのは言うまでもない。ステージで僕が歌う間、ウィルたちは後ろに座っていた。本当に心を揺さぶられる瞬間だった。そして「Bring Him Home」には、そうさせる力があった。僕は用意されたステージで歌っている時、痛切な悲しみに貫かれた。戦争が、いかにあらゆる方面で多くの人に甚大な影響を与えたか。この曲はそれを表現していた。ニールは僕が歌っているのを見ていたけど、その時、妖精の衣装を着た小さなハーヴェイ・ボールドスミスが、葉巻をふかしながら左肩に現れて、こう言ったのだそう。「これ!という曲が必要だと言ったろ!」。そしてあっという間に煙と共に消えたのだとか。そう。僕らはその曲を見つけたのだ。いや違う、この曲が僕らを見つけたんだ。

 

(後略)

注:「ヒトラーの春」は、映画『プロデューサー』に出てくる史上最低の脚本の名前。「Follow That Camel」は1960年代のコメディ映画

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